イザナギ ノミコト。 六甲山神社~菊理媛命・顕界∞幽界の仲立ち~ 2018.04.28

多賀大社

イザナギ ノミコト

1年かけて、サイクルロードの情報の収集・携行品・淡路島の歴史ほか楽しい準備期間を過ごしてきた。 その間に、病床にあった友が、息子さんの誘いで淡路島一周の車の旅に出かけ、その自然の美しさと父子のこころの結びつきを熱く語ってくれたことが決定的な後押しとなった。 また、神話の島としての神秘性にもこころ魅かれていた。 老体に一抹の不安があったが、この世を去った友にもう一度淡路島の潮風にふれ、なる夕陽を見てもらおうと意を決して出かけてきた。 すべては、<淡路島サイクップ>の取り寄せから始まった。 <淡路島サイクップの取り寄せ> 淡路島サイクップ 下記リンク先のPDFより取りだすことが出来る。 今回は老体を考え、での淡路島一周スタート地点である岩屋への公共(フェリー・バス)での移動をあきらめ、車での移動となった。 垂水インターより始まるトンネルを抜けると、突然青空に吸い込まれる世界一の<天空の吊橋>が目に飛び込んでくる。 アーチ状の吊橋を上りきると、その先に神話の国<淡路>を見下ろせるのである。 <初めての淡路島は原付オートバイで縦走> には懐かしい思い出がある。 若かりし頃、ホンダ・㏄で日本一周ツーリング途上、この原付オートバイで垂水インターより大橋に闖入。 当時はのんびりしていたのだろう、インター入口でのおはなく、㏄が250㏄に見間違われての進入となってしまった。 大橋を渡り始めてまもなく、パトカーの呼びかけに停車させられ原付オートバイは通行禁止であることを告げられる。 わたしは大橋開通以来、初めての原付自転車での乗り入れと大橋を通行した記録をつくることになってしまった。 本当は日本縦断時に<>をサイクルしたように、瀬戸内海のを自転車で渡りたいという夢はあったが、このは自動車専用橋でその夢をかなえることはできなかった。 ただ偶然にもあの日、で渡れたのだから良としたい。 <亡き友と共に淡路島一周> 昨年10月末、自宅療養を続けていたわが友・竹内正照君は、息子さんの運転で淡路島を一周したと、月例友の会の昼食会で目を輝かせ、うれしく語ってくれたものである。 輝かせた目に生きる炎を燃え立たせ、無口は雄弁に変わり、息子さんとのドライブがこの上ない喜びであったことを表現していた。 長距離ドライブの苦痛よりも、父子の無言なる情愛の心地よい交歓に酔いしれていたことを物語っていた。 その友は、この世でのなすべきことをなし終えて昨11月14日召天、帰らぬ人となった。 その彼が体験したであろう淡路島の心温まるサンセット・夕陽の情景をもう一度見せてやろうと遺影(写真)を懐に忍ばせてのサイクリング行となった。 その源である淡路島の二か所、ここ岩屋にある<絵島>と、淡路島南西に浮かぶ<沼島>と、西岸郡家にある宮を訪れてみたい。 楽しみである。 世界一の吊橋の雄姿<> 全長1994m < と 大橋 と こ大橋> 夕陽を浴びてピンク色に染まるを眺めて、その美しさに見惚れた。 美しく、どこが優雅である。 を背負い世界一周の途上、をまたぐ大橋(トルコ・)を思い出した。 橋は、人類をつなぎ、歴史をつなぎ、愛をつなぐ。 橋にはいつも夢がかかっているのである。 話は変わるが、湖にもが詠んだわたしの大好きな一句が残っている。 《 比良三上 雪さしわたせ 鷺の橋 》 (翁艸) この夢の鷺の橋が、が詠んでから174年後に<湖大橋>として完成している。 岩屋で一泊し、水の補給、緊急用食料の調達、サイクル地図や情報を収集。 出発前日、体を休めるため、道の駅近くの丘の上にある日帰り湯<美湯 松帆の郷>につかり、照明に浮かぶ魅惑のを楽しんだ。 淡路島一周を成し遂げた折も、同じ湯につかり、老いの体を癒したものである。 一周サイクルロードには岩屋を起点とした同じ地点(距離)標識がたっているので現在地を確認するのに役立つ。 ただし、サイクルロードの時計回りルートにだけ表示されている。 路面にもサイクルサインが描かれているがごく一部に限られている。 5時~23時の間に1~3本の便が出ている。 片道運賃は、大人530円と自転車240円、計770円である。 自転車はに関係なく運賃をチャージされる。 ほかに、明日通過する淡路本島の南西にある沼島もまた「オノコロ島」といわれている。 に出てくるノミコト・ノミコトによる<国生み神話>で知られ、神々がつくり出した最初の島がここ淡路島といわれている。 絵島「神話オノコロ島」と法師の歌碑 神話オコ島のもう一つの「沼島」 《千鳥なく 絵島の浦に すむ月を 波にうつして 見るこよいかな 》 () 千鳥の鳴いている絵島の浦の澄んだ月を、波に移してみている。 今夜の絵島は 何と美しいことか。 淡路島の東岸は、大阪湾・に面しアップ&ダウンの少ないサイクルロードである。 この日も美しい白雲の間からさんさんと南国のような陽光が白浜に差し込んでいた。 快適な広々としたサイクルルートに沿って棕櫚、蘇鉄、ヤシの並木がつづき、の赤い花たちも情熱的に歓迎してくれる。 日本縦断の時に走った宮崎のを思い出していた。 確か著「ダイダラ坊の足跡」 に出ていたが、とは<大太郎法師>で、その巨人の馬力で土地移しをやったという話(伝説)だったと思う。 そこでは近江の土地(湖)を掘った土で富士山を作ったという伝説であった。 しかし今回、淡路島一周サイクリングをするにあたって島の地図を眺めることが多く、その都度前回走った湖の形と類似することが気になっていた。 形を逆さにしたり、周囲の距離、面積(大きさ)を比較してみても類似点が多いのだから驚きである。 淡路島が湖の姿に似ているのは、(巨人)が作った島であり、湖であるという伝説を作りあげても面白そうである。 夢を語り伝えるのは愉快である。 面積で比較すると、琵琶湖 669㎢・淡路島 593㎢であり、周りの距離では湖189km・淡路島150㎞で淡路島の方がわずか小さいが、ほぼ同じである。 また地図を見ると、淡路島の南に浮かぶ神話の島である<沼島>が、湖の北にある<湖>に不思議なほど同じ位置にあることに気づかされるのである。 しばしの休憩、WCを済ませ、水・飴・チョコを補給。 ここにはレンタサイクルがある。 宿泊3200円より、日帰り湯730円。 <西日本最大の縄文集落佃遺跡> ここ東浦には、西日本最大の縄文集落佃遺跡(つくだいせき)があり、淡路島にはすでに今から約2500年前人の営みがあった。 遺跡からは、竪穴住居跡や丸木舟の一部が発見されているという。 淡路島には佃遺跡をはじめ、縄文集落が20ほど残っているから遺跡発掘に興味のある研究者にはである。 さらにには淡路島の至る所に水田跡があったことが分かっている。 そして、豊作を神に祈ってお祭りをする際に使われたと思われる銅鐸がたくさん出土している。 もし時間が許し、体力があれば立寄って見てはいかがだろうか。 日本の原風景に出会えるかもしれないでもある。 編より 道の駅・東浦ターミナルパークをでて、巨大な白亜の観音様の激励を受け、海風に押されながらを目指す。 巨大な観音様の出迎えを受ける < 由良方面を望見しながら、東浦の街を駆け抜けに向かう> 淡路と洲本の中ほど、安乎に「シーアイガ海月」がある(情報:宿泊4100~・日帰り湯600円) 明日走る由良からの<ライン>には、コンビニや食料調達の店がないので洲本のイオンに立寄り、食料を購入する。 南国の太陽はまぶしいので、ではサングラスを手に入れることにした。 洲本のイオンで食料購入 大浜公園の美しい松林と砂浜(洲本) WCあり 洲本から由良に向かって断崖道路(県道76)となる 大浜公園先より洲本に立寄る <淡路島の代表的な城 洲本城> 洲本の大浜公園をでて、県道76を南へ少し走ると、右山手へ入ると、洲本城への急な坂道がある。 洲本の石垣は見事である。 洲本城は標高135mの三熊山頂に建っている。 淡路水軍として活躍した安宅(あたぎ)氏によって築城された。 洲本港を見下ろし、遠くは友が島水道を挟んでの山々が霞んで見える。 大阪湾を見渡すことのできる洲本城は、由良城・炬口(たけのくち)城とならんで、淡路水軍の根拠地であった。 その後、天下統一を目指す秀吉は安宅氏を滅ぼし、洲本城をして淡路島全島を支配させた。 また1615年には、大阪の陣で功績のあった主蜂須賀氏に加増され、洲本城を政治的に利用した。 洲本城(復元) 立派な洲本城の城壁 <淡路島と信長の天下統一への道> 天下統一に立ちあがったは、 中国地方の毛利氏との決戦に備えて、秀吉を大将に 進撃を開始させる。 この時、秀吉は瀬戸内海のを持つを撃破するため、 淡路島への攻撃を始める。 1581 年、秀吉は、敵対する淡路島の武士をすべて攻め滅ぼしてしまうのである。 この洲本城は、安宅(あたぎ)氏の主城で、ほかに淡路島には岩屋城、安乎城、炬口城、由良城、猪鼻城、白巣城、湊城の全部で8つの城があった。 洲本城でも見られるような立派な土塁や城壁がいまでもいくつかの城跡でみられる。 <案内板より抜粋> 県道76にもどり、由良に向かうが、歩道はなく車道との共用道路を走ることになるので車には十分な注意を要する。 ヘルメット、後方点滅灯、サイドミラーを確認し、路肩走行を心がける。 友ケ島水道にうかぶ白雲に春の訪れを感じながら南下を続ける。 分岐を左に進むと、急登し山頂の要塞跡<1日目露営地>にでる。 < 生石山第一砲台跡> 設営完了 <生石山頂・由良要塞跡にて> 夕食準備 <ペリー来航 と 松帆台場(砲台)の備え> ペリー来航を機に幕府は、開国し、貿易を強いられる激動の幕末が始まっていた。 幕府や諸藩は、外国艦船に対する海防の強化に迫られ、幕府は、江戸品川に「お台場」を築造する。 のにあった淡路島では、淡路の由良・洲本・岩屋に「台場」を築造し、武士だけではなく、島内の百姓の若者を訓練して警備につかせたといわれている。 を 防衛する大きな使命をにない、陸軍要塞としては、 要塞に次ぐ重要な地点と位置づけられた。 ここ由良には、要塞司令部が置かれ、生石山砲台や関連施設が建設された。 敗戦後、カ軍の命令により、由良要塞の施設は爆破されたが、砲台跡は今も見ることができる。 439m方面に沈む夕日 <生石山頂より> 夕焼けに染まる すでに太陽も沈み、強風が吹き始めた。 深夜は厳しい寒さになりそうである。 ラジオ・ヘッドライト、水、ホイッスル・スティック(獣撃退用)・小用袋とカイロを準備し、眠りについた。

次の

伊弉諾尊(イザナギノミコト)とは

イザナギ ノミコト

まぜまぜに、読みませう。 ミコトトナリナリテ、アレイデタマイキ。 瓜(うり)の蔓(つる)に茄子(なす)ならすでないぞ。 茄子には茄子と申してあろがな。 味噌も糞も一つにするでないぞ。 皆がそれぞれに息する道あろがな。 野見よ、森見よ。 神の経済よく見よ。 神の政治よく見て、まことの政治、つかへて呉れよ。 すべてにまつろう事と申してあろがな。 上に立つ番頭殿、目、開いて下されよ。 間に合はん事出来ても神は知らんぞ。 神急(せ)けるぞ。 役員も気配れよ。 旧九月八日、 ひつ九のか三。 日月の巻、第三十七帖 二一〇 天にも、 あまてらすすめ大神様、 あまてらす大神様、 ある様に、 地にも、 あまてらすすめ大神様、 あまてらす大神様、 あるのざぞ。 地にも 月読の大神様、 隠れて御座るのざぞ。 素盞鳴の大神様、 罪穢れ祓ひて【つみ、けがれ、はらいて>明日香】隠れて御座るのざぞ。 結構な神様の御働きで、何不自由なく暮して居りながら、その神様あることさへ知らぬ臣民ばかり。 これで此の世が治まると思ふか。 神々まつりて、神々にまつはりて、神国のまつりごと、いたして呉れよ。 詰らぬ事(つまらぬこと)申してゐると、愈々(いよいよ)詰らぬ事になりて来るぞ。 十一月三十日、 ひつ九の神ぞ。 神ばかりではならず、人ばかりではならずと申してあろが。 善一筋の世と申しても、今の臣民の言ふてゐる様な、善ばかりの世ではないぞ。 「悪(ア九)でない悪」とあなないてゐるのざぞ。 此のお道は、あなないの道ぞ。 上ばかりよい道でも、下ばかりよい道でもないのざぞ。 まつりとはまつはる事で、まつり合はす事ざぞ。 まつり合はすとは、草は草として、木は木として、それぞれのまつり合はせぞ。 草も木も同じまつり合せでないのざぞ。 十月の二十六日。 ひつ九か三。 之が善である、まことの遣方(やりかた)ぞと思ってゐる事、九分九厘迄は皆悪のやり方ぞ。 今の世のやり方、見れば判るであらうが。 上の番頭殿、悪い政治すると思ってやってゐるのではないぞ。 番頭殿を悪く申すのでないぞ。 よい政治、しようと思ってやってゐるのぞ。 【えぇ~~!?>明日香】 よいと思ふ事に精出してゐるのざが、 善だと思ふ事が善でなく、皆悪ざから、 神の道が判らんから、 身魂曇りてゐるから、 臣民困る様な政治になるのぞ。 まつりごとせなならんぞ。 わからん事も神の申す通りすれば、自分ではわからんこともよくなって行くのざぞ。 悪と思ってゐることに善が沢山あるのざぞ。 人裁くのは神裁くことざぞ。 怖いから改心する様な事では、戦がどうなるかと申す様な事では、まことの民ではないぞ。 世が「愈々のとことん」となったから、今に大神様迄(おおかみさま、まで)悪く申すもの出て来るぞ。 「産土様何んぞ(うぶすなさま、なんぞ)あるものか」と、「悪神ばかりぞ」と申す者沢山出てくるぞ。 此の世始まってない時ざから、我身、我家が可愛い様では神の御用つとまらんぞ。 神の御用すれば、道に従へば、我身、我家は心配なくなると云ふ道理、判らんか。 何もかも結構な事に、楽にしてやるのざから、心配せずに、判らん事も素直に、云ふ事聞いて呉れよ。 子に嘘吐く親はないのざぞ。 神界の事知らん臣民は、色々と申して、理屈の悪魔に囚はれて申すが、今度の愈々の仕組は臣民の知りた事ではないぞ。 神界の神々様にも判らん仕組ざから、兎や角申さずと【とやかくもうさずと《明日香>ごちゃごちゃ言わないで》】、 神の神示(ふで)腹に入れて、身魂磨いて、素直に聞いて呉れよ。 それが第一等(だいいっとう)ざぞ。 此の神示は世に出てゐる人では解けん。 苦労に苦労した、おちぶれた人で、 苦労に負けぬ人で 気狂いと云はれ、 阿呆と謂はれても、 神の道、素直に聞く臣民でないと解けんぞ。 苦労喜ぶ心より、楽喜ぶ心高いぞ。 辛酉(かのととり)の日と年は、こわい日で、よき日と申してあろがな。 九月八日は結構な日ざが、こわい日ざと申して知らしてありた事、少しは判りたか。 何事も神示通りになりて、せんぐりに出て来るぞ。 この度は幕の一ぞ。 【このたびは、まくのいちぞ>明日香】 日本の臣民、これで戦済む様に申してゐるが、戦はこれからぞ。 九、十月八日、十八日は幾らでもあるのざぞ。 三月三日、五月五日はよき日ぞ。 恐ろしい日ざぞ。 今は型であるぞ。 改心すれば、型小さくて(かた、ちさくて)済むなれど、掃除大きくなるぞ。 猫に気付けよ、犬来るぞ。 【??>明日香】 臣民の掃除、遅れると段々大きくなるのざぞ。 神が表に出て、おん働きなされてゐること、今度はよく判りたであろがな。 戦のまねであるぞ。 神がいよいよとなりて、びっくり箱開いたら、臣民ポカンぞ。 手も足も動かすこと出来んぞ。 たとへではないのざぞ。 くどう気付けておくぞ。 これからがいよいよの戦となるのざぞ。 鉄砲の戦ばかりでないぞ。 その日その日の戦、烈しくなるぞ。 褌(ふんどし)締めて呉れよ。 十月二十五日、 ひつ九のか三。 には、オロシヤにはオロシヤ、それぞれにやり方がちがふのざぞ。 教(おしえ)もそれぞれにちがってゐるのざぞ。 元は一つであるなれど、神の教が一等よいと申しても、そのままでは外国には通らんぞ。 このことよく心にたたんでおいて、上に立つ役員どの、気つけて呉れよ。 『、何にもならんぞ。 』〜〜以下略。 つまり、小判は餌にしなさいよ=ニャンコが喜ぶようにして、真理を分かち合えよ!って感じ?:2018年10月1日(月)20:51追記】 日月の巻、第三十五帖 二〇八 元からの神示腹に入れた人が、これから来る人によく話してやるのざぞ。 この道、はじめは辛いなれど、楽の道ぞ。 骨折らいでも、素直にさへして、その日その日の仕事しておりて下されよ。 心配要らん道ぞ。 手柄立てようと思ふなよ。 勝たうと思ふなよ。 生きるも死ぬるも神の心のままざぞ。 どこにどんな事して居ても、助ける人は助けるのざぞ。 神の御用ある臣民、安心して仕事致しておりて下されよ。 火降りても、槍(やり)降りても、びくともせんぞ。 心安心(こころ、あんしん)ぞ。 くよくよするでないぞ。 神に頼りて、神祀りて、まつわりておれよ。 神救ふぞ。 十一月二十九日、 ひつ九のか三。 神ざぞ。 学が人間の智恵と思ってゐると、飛んでもない事になるぞ。 肝腎の真中、なくなりてゐると申してあろが。 真中動いてはならんのざぞ。 神国の政治は魂のまつりことぞ。 苦しき御用が喜んで出来る様になりたら、神の仕組判りかけるぞ。 何事も喜んで致して呉れ、と申してあろがな。 臣民の頭では見当取れん、無茶な四(よ)になる時、来たのざぞ。 それを闇の世と申すのぞ。 神は「ゝ」、臣民は「〇」、 外国は「〇」、は「ゝ」と申してあろが。 神国から見れば、まわりみな外国、外国から見れば神国真中。 人の真中には神あらうがな。 悪神の仕組は、此の方には判りてゐるから、一度に潰す事は易いなれど、それでは天の大神様にすまんなり。 悪、殺して終ふ(しまう)のではなく、 悪、改心さして、 五六七(みろく)の、うれしうれしの世にするのが神の願ひざから、この道理忘れるでないぞ。 今の臣民、幾ら立派な口きいても、文字ならべても、誠がないから力(ちから)ないぞ。 黙ってゐても(だまっていても)力ある人、いよいよ世に出る時近づいたぞ。 力は神から流れ来るのぞ。 磨けた人から神がうつって、今度の、二度とない世界の、世直しの手柄、立てさすぞ。 みたま磨きが何より大切ぞ。 十月の二十七日、 ひつ九のか三。 【明日香より>「闇の夜」=三十日月(づき)。 すなわちの夜を指す?>は闇ぞ、という記述あり。 2018年10月1日(月)21:07追記】 日月の巻、第三十四帖 二〇七 この神示よく読みてくれよ。 早合点してはならんぞ。 取違ひが一番怖いぞ。 どうしたらお国の為になるのぞ、自分はどうしたら好いのぞと、取次にきく人、沢山出て来るなれど、この神示読めば、どうしたらよいか判るのざぞ。 その人相当にとれるのぞ。 神示読んで、読んで腹に入れて、もう分らぬ、と云うことないのざぞ。 分らねば神知らす、と申してあろうがな。 迷うのは、神示読まぬからぞ。 腹に入れておらぬからぞ。 人が悪く思へたり、悪くうつるのは己が曇りてゐるからぞ。 十一月二十九日、 ひつ九のか三。 足許に気付けよ。 悪は善の仮面かぶりて来るぞ。 入れん所へ(はいれんところへ)悪が化けて入って、をワヤにしてゐるのであるぞ。 己の心も同様ぞ。 百人千人万人の人が、善いと申しても、悪い事あるぞ。 一人の人云っても(いっても)、神の心に添ふ事あるぞ。 てんし様拝めよ。 てんし様拝めば御光出るぞ。 何もかもそこから生れるのざぞ。 お土拝めよ。 お土から何もかも生れるのぞ。 人拝めよ、上に立つ人拝めよ。 草木も神、と申してあろがな。 江戸に攻め寄せる、と申してあろがな。 富士目指して攻め来ると知らしてあること、近付いたぞ。 今迄の事は皆、型でありたぞ。 江戸の仕組も、お山も、甲斐の仕組も皆型ぞ。 鳴門とうづうみの仕組も型して呉れよ。 の仕組も、型早よう出して呉れよ。 型済んだら、いよいよ、末代続くまことの世直しの御用にかからすぞ。 雨降るぞ。 十月二十八日、 ひつ九のかみ。 日月の巻、第三十三帖 二〇六 宝の山に攻め寄せ来ると申して、くどう気付けておいたでないか。 【埋けておいた=「いけて」おいた=《地面に》埋めて(うめて)おいた、という意味>明日香】 「〇」(かみ)の国にも、埋けておいてあるのざぞ。 この宝は、神が許さな誰にも自由にはさせんのざぞ。 悪が宝取らうと思ったとて、どんなに国に渡り来ても、どうにもならん様に神が守ってゐるのざぞ。 いよいよとなりたら神がまことの神力出して、宝取り出して、 世界のどんな悪神も、「にはかなはん」と申す所まで、 とことん心から降参する所まで、今度は戦するのざから、 臣民余程見当取れんことに、どんな苦労もこばらなならんのざぞ。 どこの方言なのかしら??。 >明日香】 知らしてありた事、日々 (にちにち)どしどしと出て来るぞ。 われよし、すてて呉れよ。 十一月二十八日、 ひつ九のか三。 我が出てくると、失策るから(しくじるから)。 我とわからん「我」あるから、 今度は失策ること(しくじること)出来んから、 ここと云ふ時には、神が力つけるから、 急ぐでないぞ。 身魂磨き第一ぞ。 「蔭の御用」と「表の御用」とあるなれど、何れも(いずれも)結構な御用ざぞ。 身魂相当が一番よいのざぞ。 今に分りて来るから慌てるでないぞ。 今迄の神示、よく読んでくれたらわかるのざぞ。 それで「腹で読め読め」と、くどう申してゐるのざぞ。 食物(くいもの)気つけよ。 十月二十八日、 ひつ九のかみ。 日月の巻、第三十二帖 二〇五 おもてばかり見て居ては、何も判りはせんぞ。 月の神様、まつりて呉れよ。 此の世の罪穢れ負ひて(このよのつみ、けがれ、おいて)、 夜となく昼となく守り下さる「素盞鳴神様」あつくまつり呉れよ。 火あって水動くぞ。 水あって火燃ゆるぞ。 火と水、と申しておいたが、その外に隠れた火と水あるぞ。 それを一二三と云ふぞ。 一二三とは一二三と云ふ事ぞ。 言波ぞ。 言霊(コトタマ)ぞ、 祓ひ(はらい)ぞ、 🌀【=うずまきの図形>明日香】ぞ。 スサナルの仕組ぞ。 成り成る言葉ぞ。 今の「三み一たい【さんみいったい=三位一体>明日香】」は「三み三たい【さんみさんたい>明日香】」ぞ。 一(ひ)とあらはれて、二三(ふみ)かくれよ。 月とスサナルのかみ様の御恩、忘れるでないぞ。 御働き近づいたぞ。 十一月二十七日、 ひつ九かみ。 国中到る所、「花火仕掛け」してあるのぞ。 人間の心の中にも花火が仕掛けてあるぞ。 何時その花火が破裂するか、わからんであろがな。 掃除すれば何もかも見通しざぞ。 花火破裂する時近づいて来たぞ。 動くこと出来ん様になるのぞ。 蝋燭(ろうそく)の火、明るいと思ふてゐるが、五六七(みろく)の世の明るさは、わからんであろが。 十月の三十一日。 ひつ九のかみ。 日月の巻、第三十一帖 二〇四 一二三四五六七八九十百千卍 ひとふたみよいつむななや、ここのたり、もちよろず。 今度は「千人、万人力」でないと手柄出来んと申してあろがな。 世界中総掛かりで攻めて来るのざから、一度はあるにあられん事になるのぞ。 大将ざからとて油断出来ん。 富士の山動く迄には、どんな事も耐えねば(こらえねば)ならんぞ。 上辛いぞ(うえ、つらいぞ)。 どんなことあっても、死に急ぐでないぞ。 今のと、 神の魂と、 違ふ所あるのざぞ。 その時その所によりて、どんなにも変化る(へんげる?かわる?)のが、神の魂ぞ。 馬鹿正直ならん、と申してあろ。 今日(けう)あれし生命勇む時、来たぞ。 神は其の日、其の時に、何すべきかに就いて教へるぞ。 明日の事に心使ふなよ。 心は配れよ。 取越苦労するなよ。 心配りはせなならんぞ。 何もかも神に任せよ。 神の生命、神の肉体となりきれよ。 何もかも捨てきらねばならんぞ。 天地皆、神のものぞ。 天地皆、己のものぞ。 取違ひ致して呉れるなよ。 幾ら戦してゐても天国ぞ。 【ええ~~??>明日香】 天国とは神国ぞ。 神国の民となれば、戦も有難いぞ。 いきの生命、いつも光り輝いてゐるぞ。 神にまつろてくれ、と申してあろが。 あめつち皆に、まつろて呉れ、と申してあろがな。 ここの道理よく判りたであろが。 何も云ふ事ないぞ。 神称へる辞(コト)が光透(コト)ぞ。 あめつち称へる言(コト)が光透(コト)ぞ。 草木の心になれ、と申してあろがな。 神風もあるぞ。 地獄の風もあるぞ。 迷ふでないぞ。 神の申すコトはコトであるぞ。 コトに生きてくれよ。 コトにまつろへよ。 十一月の一日、 ひつ九か三。 日月の巻、第三十帖 二〇三 おのころの国成り、 この国におりまして あめとの(みはしら)見立て給ひき。 茲に(ここに【字体としては、「玄玄に」となってます。 >明日香】) (いざなぎのみこと) (いざなみのみこと) 島生み給ひき。 初めに 水蛭子(ひるこ)、 淡島(あわしま)、 生み給ひき。 この御子、国のうちにかくれ給ひければ、 次にのりごちてのち生み給へる御子、 淡道之穂之三別島(あわじのほのさわけしま)、 伊予の二名島(いよのふたなしま)、 この島、 愛媛(えひめ)、 飯依比古(ひひよりひこ)、 大宜都比売(おおけつひめ)、 建依別(たてよりわけ と云ふ。 【明日香より>三別島と二名島なら、あわせて5のはず。 もしかして一柱(ひとはしら)足らない??>あさり=そうなのです、一柱を意図的に隠しています。 詳しいことは、いずれお話します。 】 次、 の三子島(おきのみつこしま)、 天之忍許呂別 あまのおしころわけ。 次、 筑紫島(つくししま)、 この島、 白日別(しらひわけ)、 豊日別(とよひわけ)、 建日向日豊久土比泥別(たけひむかひとよくづひぬわけ)、 建日別(たてひわけ)。 次、 伊伎島(いきしま)、 天比登都柱(あめのひとつはしら)。 次、 津島(つしま)、 天狭手依比売(あめのさてよりひめ)。 次、 (さとしま)。 次、 大倭(おおやまとあきつしま)、 天津御空豊秋津根別(あまつみそらとよあきつねわけ)、 次、 吉備之児島建日方別(きびのこしまたてひかたわけ)。 次、 小豆島(あづきしま)、 大野手比売(おおぬてひめ)。 次、 大島大多麻流別(おおしまおほたまるわけ)。 次、 (ひめしま)、 根(あめひとつね)。 次、 知詞島(ちかのしま)、 天忍男(あみのおしを)。 次、 両児島(ふたこしま)、 天両屋(あめふたや)、 二島(にしま)、 八島(やしま)、 六島(むしま)、 合せて十六島生み給ひき。 次にまたのり給ひて、 大島、 小島、 生み給ひき。 淡路島(あわじしま)、 二名島(ふたなしま)、 おきの島、 筑紫の島(つくしのしま)、 の島(いきのしま)、 津島(つしま)、 の島(さどのしま)、 大倭島 おおやまとしま)、 児島(こじま)、 小豆島(あづきしま)、 大島(おおしま)、 (ひめしま)、 なかの島、 二子島(ふたこしま) の十四島、島生みましき。 次に、いぶきいぶきて、生み給ひき。 (おほことおしをのかみ)、 (オホコトオシヲノカミ)、 (いしつちひこのかみ)、 (イシツチヒコノカミ)、 (いしすひめのかみ)、 (イシスヒメノカミ)、 (おほとひわけのかみ)、 オホトヒワケノカミ、 (あめのふきをのかみ)、 あま之吹(アマノフキヲノカミ)、 (おおやひこのかみ)、 (オオヤヒコノカミ)、 (かさけつわけのおしをのかみ)、 (カサケツワケノオシヲノカミ)、 海神(わたのかみ)、 海神(ワタノカミ)、 大(おほわたつみのかみ)、 水戸之神(みなとのかみ)、 水戸の神(ミナトノカミ)、 速秋津比神(はやあきつひのかみ)、 (はやあきつひめのかみ)、 (ノカミ)、 風神(かぜのかみ)、 風神(カゼノカミ)、 (しなつひこのかみ)、 木神(きのかみ)、 木神(キノカミ)、 (くくのちのかみ)、 山神(やまのかみ)、 山神(ヤマノカミ)、 (おほやまつみのかみ)、 野神(ぬのかみ)、 野神(ヌノカミ)、 (かやぬひめのかみ)、 野椎神(ぬつちのかみ)、 (とりのいわくすつねのかみ)、 天鳥船神(あめのとりふねのかみ)、 大宜都(おほけつひめのかみ)、 大宜都(オホケツヒメノカミ)、 火之夜芸速(ひのやきはやをのかみ)、 火之煇比古神(ひのかがひこのかみ) 生みましき。 速秋津日子(はやあきつひこ)、 速秋津比売(はやあきつひめ)、 二柱の神、川海(かわうみ)に因り(より)もちわけ、ことわけて、生ませる神、 沫那芸神(あわなぎのかみ)、 (あわなみのかみ)、 頬那芸神(つらなぎのかみ)、 (つらなみのかみ)、 (あめのみくまりのかみ)、 (くにのみくまりのかみ)、 (あめのくひさもちのかみ)、 (くにのくさひもちのかみ)、 次に、 (おほやまつみのかみ)、 野椎神(ぬつちのかみ) の二柱神、 山野(やまぬ)に依りもちわけて、ことあげて生みませる神、 天野狭土神(あめのさつちのかみ)、 (くにのさつちのかみ)、 (あめのさぎりのかみ)、 (くにのさぎりのかみ)、 (あめのくらとのかみ)、 (くにのくらとのかみ)、 (おほとまどひこのかみ)、 (おほとまどひめのかみ)、 (オホトマドヒコノカミ)、 (オホトマドヒメノカミ) 生みましき、 (いざなみのかみ)やみ臥(こや)しまして、たぐりになりませる神、 神(かなやまひこのかみ)、 神(かなやまひめのかみ)、 屎(くそ)になりませる神、 波仁夜須比古神(はにやすひこのかみ)、 波仁夜須(はにやすひめのかみ)、 尿(ゆまり)に成りませる神、 弥都波能売神(みつはのめかみ)、 (わくむすびのかみ)、 この神の御子、 豊宇気(とようけひめのかみ) と申す。 ここに(いざなみのかみ)、火の神生み給ひて、 ひつちとなり成り給ひて、 根の神の 中の国に 神去り給ひき。 ここに(いざなぎのかみ)泣き給ひければ、 その涙になりませる神、 泣沢女神(なきさわめのかみ)、 ここに (かぐつちのかみ) 斬り給へば、 その血石にこびりて、 (いわさくのかみ)、 (ねさくのかみ)、 (いわつつのおのかみ)、 雍瓦速日神(みかはやひのかみ)、 (ひはやひのかみ)、 建大神(たけみかつちおのかみ)、 建布都神(たけふつのかみ)、 豊布都神(とよふつのかみ)、 御刀(みはかし)の手上(たかみ)の血、 闇於加美(くらをかみ)、 (くらみつはのかみ)、 ここに殺されし(かぐつち)の御首(みかしら)に成りませる神、 (まさかやまつみのかみ)、 御胸に 於藤山津見神(おとやまつみのかみ)、 腹(みはら)に (おくやまつみのかみ)、 陰(みほと)に (くらやまつみのかみ)、 左の御手に 志芸山津見神(しきやまつみのかみ)、 右の御手に (はやまつみのかみ)、 左の御足に (はらやまつみのかみ)、 右の御足に 戸山津美神(とやまつみのかみ)、 成りましき。 ここに斬り給へる御刀(みはかし)、 (あめのおはばり)、 伊都之尾羽張(いづのおはばり)、 と云ふ。 ここに妹(いも【=いざなみさん>明日香】)恋しまし給ひて、音の国(ねのくに)に追い往で給ひき(おいいでたまいき)。 【明日香より>改めて思うこと=こうして読んでましたら、神代の中で一番最初に神様殺しを行ってしまったのは、しかも御自分の息子を「八つ裂き」にして惨殺してしまったのは、他ならぬ「いざなぎさん」??彼はこの後、「いざなみさん」を追いかけて黄泉の国に行くわけですが・・・。 その際、「いざなみさん」の息子でもある「かぐつちさん」の亡骸(なきがら)と同様、両手、両足、胸、お腹、陰部、そして頭の八箇所に神様を従えている、その姿を見てしまうわけです。 「いざなぎさん」と「いざなみさん」お二方の「磐戸開き」。 キーポイントは、どうやらこの辺りにある様な気がします。 >あさりからの補足説明=いざなぎ、いざなみによる「国うみ」の話を『第203帖』に配置している事に注意してください。 において重要な戦場となった『203高地』。 そして、一部の方しかご存知ないけれど、で有名なも、九州西方海域『203地点』を通過していたことになっています。 戦争を賛美する方にはお解かりになれないでしょうが、これらは「日本軍勝利」の美談などではありません。 203はいざなぎ、いざなみの国産みと密接に関わる重要な数字なのです。 それを、日の本の国の為政者たちが、戦争という大量虐殺行為によって、徹底して穢しているのです。 時節が何もかも、返報返し(へんぽうかえし)するぞ。 時の神様、有難いと申してあろがな。 神は臣民から何求めてゐるか。 何時も与へるばかりでないか。 神の政治、神国の政治は与へる政治、とくどう申してあろがな。 今の遣り方では、愈々苦しくなるばかりぞ。 早よう気付かぬと、気の毒出来て来るぞ。 金いらぬ、と申してあろが。 やり方教へてやりたいなれど、それでは臣民に手柄無いから、此の神示よく読みてくれといふてあるのぞ。 よき事も、現れると帳消しとなる事、知らしてあろが。 人に知れぬ様に、よき事はするのざぞ。 この事よく深く考へて行へよ。 昔からのメグリであるから、 ちょっとやそっとのメグリでないから、 何処へ逃げても、どうしてもするだけの事、せなならんのざぞ。 どこにゐても救ふ臣民は救うてやるぞ。 真中動くでないぞ。 知らぬ顔しておる事も起るぞ。 第二十九帖 二〇二 一日一日(ひとひひとひ)みことの世となるぞ。 神の事いふより、みことないぞ。 物云ふなよ。 みこと云ふのぞ。 みこと神ざぞ。 「ア」ぞ。 世変るのぞ。 何もはげしく引上げぞ。 戦も引上げぞ。 後に不足申すでないぞ。 光食へよ。 息ざぞ。 (スサナルノミコト)まつり呉れよ。 急ぐぞ。 うなばらとはこのくにぞ。 にも善と悪とあると申してあろがな。 この神示見せてよい人と悪い人とあるのざぞ。 神示見せて呉れるなよ。 まことの神の臣民とわかりたら、此の神示写してやりてくれよ。 神示は出ませぬと申せよ。 時節見るのざぞ。 型してくれたのざから、もう一 はじめ の仕組よいぞ。 此の神示、表に出すでないぞ。 は蔭の御用と申してあろが。 神示、仕舞っておいてくれよ。 一二三として聞かしてやって呉れよ。 此の方の仕組、日に日に変るのざから、臣民わからなくなると申してあろが。 日に日に烈しく変りて来るのざぞ。 神の子には神示、伝へてくれよ。 神せけるぞ。 渦海(うづうみ)の御用結構。 第二十八帖 二〇一 岩戸あけたり日本晴れ、 富士ひかるぞ。 この巻、役員読むものぞ。 世の元と申すものは火であるぞ、水であるぞ。 くもでて、くにとなったぞ。 出雲(いずも)とはこの地(くに)の事ぞ。 スサナルの神は、この世の大神様ぞ。 はじめは「🌀」であるなり、 🌀(うご)いて月となり、地となりたのざぞ。 「ア」は 🌀(ヒツキクニ)の神様なり、 「ヨ=〇の中に ワヤ の字が書いてある記号」【>読みは(ヨ)】は月の神様ぞ、 クニの神様は、スサナルの神様ぞ。 この事はじめに心に入れれば、掃除タワイないぞ。 グレンとは「上下かへる事」と申してあろうがな。 云ふてはならぬ事ぞ。 いはねばならぬ事ぞ。 日に日に烈しくなると申してあろがな。 水いただきにあげなならんぞ。 お土掘らねばならんぞ。 言波(ことば)とくに磨きてくれよ。 コトに気つけて呉れと、くどう申してあろが。 してはならず。 せねばならず。 神事(かみごと)に生きて下されよ。 十一月六日、 ひつ九のか三ぞ。 日月の巻、第二十七帖 二〇〇 は生きてゐるのざぞ。 国土おろがめよ。 神の肉体ぞ。 神のたまぞ。 道は真直ぐとばかり思ふなよ。 曲って真直ぐであるぞ。 人の道は無理に真直ぐにつけたがるなれど、曲ってゐるのが神の道ぞ。 曲って真直ぐいのざぞ。 人の道も同じであるぞ。 足許から鳥立つぞ。 愈々が近づいたぞ。 世の元と申すものは泥の海でありたぞ。 その泥から、神が色々のもの、一二三で、いぶきで生みたのぞ。 人の智ではわからぬ事ざぞ。 眼は丸いから丸く見えるのざぞ。 この道理わかりたか。 一度はどろどろにこね廻さなならんのざぞ。 臣民はどない申しても近慾ざから、先見えんから、慾ばかり申してゐるが、神は持ち切れない程の物与へてゐるでないか。 幾ら貧乏だとて、犬猫とは桁違ふがな。 それで何、不足申してゐるのか。 まだまだ天地へ取上げるぞ。 日々取上げてゐる事、わからんか。 神が大難を小難にして、神々様御活動になってゐること、眼に見せてもわからんか。 天地でんぐり返るぞ。 やがては富士晴れるぞ。 富士は晴れたり日本晴れ。 元の神の世にかへるぞ。 「日の巻」終りて「月の巻」に移るぞ。 愈々一二三が多くなるから、今までに出してゐた神示、よく腹に入れておいてくれよ。 知らせねばならず、知らしては仕組成就せず。 臣民早よ洗濯して、鏡に映る様にしてくれよ。 【あさりより>ここで言うところのとは『水鏡(みずかがみ』のことです。 】 今の世、地獄とわかってゐるであろがな。 今のやり方、悪いとわかってゐるであろがな。 神まつれと申すのぞ。 外国には外国の神ある、と申してあろが。 み戦さ(みいくさ)すすめて外国に行った時は、先づその国の神、まつらねばならんぞ。 まつるとはまつろふ事と申してあろが。 鉄砲や智では悪くするばかりぞ。 神、先づまつれとくどう気つけてあるのは、日本ばかりではないぞ。 此の方の申すこと、小さく取りては見当取れん、と申してあろがな。 三千世界の事ぞ。 日本ばかりが可愛いのではないぞ。 世界の臣民、皆わが子ぞ。 わけへだてないのざぞ。 この神示よみて聞かしてくれよ。 読めば読むほどあかるくなるぞ。 富士晴れるのざぞ。 神の心晴れるのざぞ。 あらたぬし世ぞ。 洗濯せよ掃除せよと申すのは、これまでのやり方、考へ方をスクリと改める事ぞ。 一度マカリタと思へ。 掃除して何もかも綺麗にすれば、神の光スクリと光り輝くぞ。 ゴモク捨てよと申してあろがな。 人の心ほど怖いものないのざぞ。 奥山に紅葉(もみじ)あるうちにと申すこと、忘れるなよ。 北に気付けよ。 神の詞(よ)の仕組、よく腹に入れておいて下されよ。 今度の「さらつの世」の元となるのざぞ。 十一月七日、 ひつ九のか三。 日月の巻、第二十六帖 一九九 「〇ム」、 「〇ウ」、 「〇ウ」、 「ウ」、 「う」に 「アエオイウ」ざぞ。 昔の世の元ぞ。 「〇ア」、 「〇ヤ」、 「〇ワ」、 「ヤ」、 「ワ」あるぞ、 世の元ぞ。 「サタナハマ」からあるぞ。 一柱、二柱、三柱、 五柱、七柱、八柱、 九柱、十柱、 と申してあろがな。 五十九の神、 七十五柱、これで判りたか。 「〇ム」は「ゝ」ざぞ。 「ゝ」には裏表、上下あるのざぞ。 冬の先、春とばかりは限らん、と申してあること忘れるなよ。 用意せよ、冬に桜咲くぞ。 【〇ア=丸の中にカタカナの「ア」。 臣民の洗濯、早よ致してくれよ。 「さらつの世」の用意、早よしてくれよ。 今度の世には四十九の御役、御仕事あるのざぞ。 四十九の身魂、と申してあろがな。 神の申したこと、次々と出て来ておろうがな。 早よこの神示、腹に入れよ。 早よ知らしてくれよ。 今迄の神示、役員の腹に入る迄は、暫く(しばらく)此の神示出ぬぞ。 大切の時には知らすなれど、そのつもりでおりて呉れよ。 毒、吐き出せよ。 十一月の八日、 ひつくのか三。 日月の巻、第二十五帖 一九八 「🌔ゝ(ヒツキ)【「白抜き」の十三夜月の中に「ゝ」。 読み方は『書いていません!』>明日香】のクニウミタマヒキ、 ~~読み辛いと思いますので、ここまでを再掲します。 神に厄介掛けぬ様にせねばならんぞ。 神が助けるからと申して、臣民懐手(ふところで)してゐてはならんぞ。 力の限り尽くさなならんぞ。 「🌔ゝ(ヒツキ)」【左は白抜きの月、その右側に十三夜月がくっついている。 その十三夜月の中に「ゝ」。 臣民、一日に二度食べるのざぞ。 朝は日の神様に「供へてから」頂けよ。 夜は月の神様に「捧げてから」頂けよ。 それがまことの益人(ますひと)ぞ。 参照 お月様の満ち欠けと呼び名(月の 名前) No. 拍手打ちて、人とまつろへよ。 神示、よんで聞かして呉れよ。 声出して、天地に響く様「のれ」よ。 火(ひ)と水(み)、ひふみとなるのざぞ。 「水」近づいたぞ。 厭(いや)でも応でも、はしらなならんぞ。 引くり返るぞ。 世が唸るぞ。 神示よめば、縁ある人集まって来て、神の御用するもの出来て来る事わからんか。 仕組通りにすすめるぞ。 神待たれんぞ。 十一月十日、 ひつ九か三。 日月の巻、第二十四帖 一九七 ココニ、 ノミコト、 ノミコトハ、 ヌホコ、ヌホト、 クミクミテ、クニウミセナトノリタマヒキ、 ノミコト、 ノミコト、 イキアハシタマヒテ、 アウ、あうトノラセタマヒテ、 クニ、ウミタマヒキ。 コトの初め気付けて呉れよ。 夜明けたら、生命(いのち)神に頂いたと申してあろがな。 太陽(ひ)あるうちはことごとに、太陽の御用せよ。 月あるうちはことごとに、月の神の御用せよ。 それがまことの臣民ぞ。 生活心配するでないぞ。 ことわけて申せば、今の臣民、すぐは出来ぬであろが。 初めは六分国のため、四分自分の為。 次は七分国のため、三分自分の為。 次は八分国の為、二分自分のため。 と云ふ様にして呉れよ。 これはまだ自分あるのざぞ。 自分なくならねばならぬのざぞ。 神人一つになるのざぞ。 臣民も無くなるぞ。 上の人、臭い飯食ふ時来るぞ。 味方同士が殺し合ふ時、一度は あるのざぞ。 大き声で物言へん時来る、と申してあろがな。 之からがいよいよざから、その覚悟してゐて下されよ。 一二三が正念揚ぞ。 臣民の思ふてゐる様な事でないぞ。 この神示よく腹に入れておけ、と申すのぞ。 ちりちりばらばらになるのざぞ。 一人々々で何でも出来る様にしておけよ。 十一月十一日、 ひつ九か三。 日月の巻、第二十三帖 一九六 一升桝には一升しか入らぬと臣民思ふてゐるが、 豆一升入れて粟(あわ)入れる事、出来るのざぞ。 その上に水ならば、まだはいるのざぞ。 神ならば、その上にまだ幾らでもはいるのざぞ。 神が移りたら、人が思はぬ事出来るのざぞ。 今度は千人力与へる、と申してあろが。 江戸の仕組、世の終わりぞ。 天、おろがめよ。 つち、おろがめよ。 まつはれよ。 秋の空グレン、と申してあろがな。 冬も春も夏も気つけてくれよ。 十一月十三日、 ひつ九か三。

次の

2020『星の巡礼 淡路島一周サイクリング老人の旅』①

イザナギ ノミコト

簡単に再会 死んだのに簡単に会えるのかとビックリします。 ここではハッキリと書かれていませんが、顔を合わせて対面したのではなく黄泉の国の入り口にある戸を間に挟んでの対話です。 つまりイザナミがどんな状態かは分かっていません(暗くてよく見えないとする書籍もあります)。 実際はすでに腐ってウジがわいています。 モガリ 古代では火葬はなく、土葬や風葬でした。 土に埋めてしまったり、野に晒して風に吹かれて白骨になってから埋葬するというやり方でした。 その中でもや皇子、豪族といった有力はモガリという方法をとっていました。 を作り、そこに遺体を安置します。 その遺体を定期的に遺族が様子を見に行くのです。 この風習の名残が「初七日」などの定期的な法要となって残っているともいわれます。 お墓に水を掛けるのも遺体が早く白骨化するようにという風習から来ているとも言われます。 このモガリという風習を物語にしたのが、このの冥府下りともいうべき黄泉の国のお話です。 イザナギが現世に帰って以降はイザナミ=死者の国の王という意味合いになりますが、この時点では黄泉の国に別に王がいます。 日本古来の世界観の中に『死者』の行くところは何処かというとのようです。 しかし、日本語にはこんな言葉もあります。 「草葉の陰から見ている」 つまり死者は死んでどこかに行くのではなく、目に見えない存在になってそこいらじゅうに存在する。 それが日本の正しい死後のあり方です。 と言う言葉は日本神話の中に今後も出てきますが、生きている人でも行って帰ってこられる場所です。 どうやらあの世とこの世の境目が非常に曖昧なのです。 そういう世界観が古来からあったようです。 つまり現世ととは同じ空間にあるのです。 ややこしいなぁ。 これは大和朝廷が自身の正当性を高める為に、他の国の神話を取り入れた結果ではないかと言われます。 その他の国の神話というのがギリシャ神話や中東の神話であり、シルクロードからウィグル、朝鮮、日本と伝わった可能性があります。 もしくは中東・インド・台湾・沖縄経由です。 沖縄経由というのが個人としては現実的なルートと考えています。 コレに関しては比較神話の本を読むと面白いですが、物証がゼロなので妄想としては面白いですが、本気にしていいのかちょっと疑問。 でも面白いです。

次の