南 鳥島。 日本の最東端「南鳥島」~絶海の孤島を訪ねて:時事ドットコム

南鳥島気象観測所

南 鳥島

地理 [ ] の南 、から582km 、の南南東約110km、の北約76kmに位置する。 ほぼ円形に近い二重式成層島であり、日本のにおいては火山活動度ランクAのに指定されている。 島の北方には、鳥島とよばれるが存在し、鳥島はその海底カルデラの南縁に位置している。 最高点は硫黄山の394m。 現在は無人島であるが、からにかけては人が住んでいた時期もあった。 現在でも島の西側にはの火山活動によるによって閉鎖された鳥島気象観測所の建物が残っており、が島に滞在する調査員の住居として、地震計記録室だった建物を利用している。 行政 [ ] 鳥島は、が8月にの付属と定め、4月にの付属と定めた。 にが先住権・登記簿を口実に島の同町への編入を東京都に申し立てると、も島からの距離の近さを訴えこれに反発した。 当時の(現・)に裁定が委ねられるも決着が付かず、2019年時点で所属町村は未定の状態である。 このため、鳥島にはを置くことができない。 現在は東京都が直轄し、都の出先機関であるが管理している。 自然 [ ] 鳥島は噴火の影響によりの初期段階にあり、植物相は貧弱で、内陸では北西部の斜面にやなどの類が、海岸にはやが生育するだけである。 一部人間が持ち込んだ や、アズマザサが自生している。 鳥島は()などの海鳥の繁殖地として有名で、かつては鳥が一斉に飛び立つと島全体が浮き上がるように見えたと比喩されるほど多くの海鳥がいた。 そのため、(昭和5年)のの創設者の調査を初めとして、さまざまな学術調査が行われてきた。 しかし、は羽毛採取・食肉の目的で、出身の実業家の手によって(明治20年)から捕獲が始まり、捕獲が禁止される(昭和8年)まで推定約1,000万羽がされ、禁止された当時は50羽ほどしか生息していなかった。 (昭和24年)のアメリカ人研究者オースチンの調査では絶滅の可能性も指摘されたが、(昭和27年)に鳥島気象観測所所長の山本正司が再発見した。 以後観測所職員らにより保護プロジェクトが行われ、(昭和40年)のによる観測所の閉鎖まで続いた。 (昭和56年)より環境庁(現)によるアホウドリの生息状況調査および繁殖地の維持・保全事業がおこなわれており、現在でも年数回の上陸調査が実施されている。 (平成6年)の調査で約159つがいが確認されている。 またも数万から十数万羽規模で繁殖していたが、人間とともに移入された(現在は死滅)とによる捕食で激減し、特に1965年に無人島化してからは、残ったクマネズミがコロニーを消滅させてしまった。 現在も多数生息するクマネズミを排除することも、鳥島の自然回復のポイントとなっている。 その他にはやなどの海鳥、猛禽類の、やなどの鳥類が確認されているが、やは確認されていない。 沿岸にはやなどの海洋生物が回遊する。 これらの生物相の特徴に加え、比較的最近の火山現象が観察できることから植物・動物・地質の全ての点において貴重であると判断されたため、(昭和40年)に国の天然記念物 の「天然保護区域」として地域指定された。 また、希少な海鳥類の生息地として保護する目的で、(昭和29年)に国指定鳥島 (希少鳥獣生息地)に指定されている(面積453)。 歴史 [ ] 鳥島はに活発な活動をしているであり、記録に残っているものだけでも、、、、にが確認されている。 1902年から9日の大噴火では、アホウドリ捕獲のためにした 島民125人全員が死亡した。 の無人島時代には多くの船が鳥島に漂着しており、たとえばの船乗り長平()はアホウドリで食いつないで12年間生活し、後から漂着した者達と一緒に船を造ってに脱出した。 またら5人が漂着したのも鳥島であるが、彼らは約5ヶ月でアメリカの船に救助されている。 によると、この島に漂着し脱出できた者の記録は15例以上ある。 交通 [ ] 定期便はない。 交通手段はから船のチャータもしくは、ヘリコプターのみである。 1902年の噴火で島北部に兵庫湾と呼ばれるができ、大正から昭和初期にかけて港湾として使用されていたが、1939年の噴火で埋まってしまった。 島の西岸の初寝崎には、かつて気象庁が整備し、現在は僅かに一部が残っているA港・B港があるが、接岸はゴムボートのみ可能である。 島の周囲は暗礁が多く、近づきすぎて座礁する船も少なくない。 鳥島は小笠原や方面へ向かう航路上に位置し、アホウドリを観察するためにがすぐ沖合いを周遊する。 島全域が天然記念物に指定されているため、東京都より許可を得た者のみが上陸できる。 鳥島を扱った作品 [ ] 小説 [ ]• 『ジョン万次郎漂流記』 1937年• 『漂流』 1942年• 『孤島』 1955年• 新田次郎『火の島』 1966年• 『』 1976年 映画 [ ]• 1981年 ノンフィクション [ ]• - NHKのドキュメンタリー• 2010年8月6日放送 -アホウドリ保護増殖事業の一環として上陸。 漂流の島: 江戸時代の鳥島漂流民たちを追う 2016年5月19日 脚注 [ ] []• 「伊豆諸島・鳥島で噴煙 「アホウドリの島」」 『読売新聞』2002年8月12日付け夕刊1面• 朝日新聞 朝日新聞社. 2010年5月28日• - 山階鳥類研究所• 高橋大輔『漂流の島』 草思社、2016年、149頁。 『日本の国境: 分析・資料・文献』 、2013年、118頁。 - 東京都八丈支庁• 同日、告示第21号「天然記念物鳥島を指定する件」• 同年、告示第719号「鳥島鳥獣保護区を設定した件」• - 気象庁• 『漂流の島』 草思社、2016年、32頁および39頁。 「無人島・鳥島に遭難漁船長、野鳥観察船が救助」「読売新聞」 2004年5月13日• 「友丸 鳥島で座礁 海保のヘリで救助 過酷なフィールドで保護活動支える」「南海タイムス」 2007年5月25日• 山階鳥研NEWS 2010年11月号 参考文献 [ ]• ・・・監修『日本の天然記念物』、1995年3月20日、1101頁、。 - その他の鳥島• - 『江戸時代のロビンソン 七つの漂流譚』• - アホウドリ調査のため島に何度も滞在している。 - 山階鳥類研究所の補助員として2010年に上陸し、『漂流の島』(、2016)を著した。 外部リンク [ ]• :活火山の解説•

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南 鳥島

地勢 [ ] 地形 [ ] 一辺が約2kmのの平坦な島であり、最高地点のは9 m。 島の周囲はで浅くなっているが、が速く泳ぐのは危険である。 この海域はに含まれ、島の周囲は深い海に囲まれている。 サンゴ礁の外側は1,000 mの断崖となる。 日本の島としては唯一の東側にあり、日本で唯一上にある。 日本最東端のが存在し、この電子基準点は日本で唯一太平洋プレート上にあることからプレート運動の監視に重要な意義を持っている。 気候 [ ] 降水量と気温 でいう Aw に属する。 月平均気温2月21. 降水量は日本国内では少なめ。 日本ではと南鳥島を含むのそれぞれ一部がに属しているが、南西諸島はからの距離が近いため寒候期(10 - 3月)にはの大きな影響を受ける。 同じ熱帯でも、南西諸島南部(、、、など)は年中降水量が多いので Af に属する。 これに対して、南鳥島は大陸からの距離が遠いため年間の気温差が小さいが、日平均気温年較差が約6. 極値は、最低気温が 13. また、南鳥島はアメダス、気象官署をあわせた気象庁の観測所における11月、12月、1月の国内最高気温記録を保持している。 それぞれの34. 7 85. 5 29. 0 84. 2 30. 2 86. 4 31. 9 89. 4 34. 0 93. 2 35. 0 95 35. 6 96. 1 34. 7 94. 5 35. 3 95. 5 33. 5 92. 3 34. 2 93. 6 31. 6 88. 9 35. 6 96. 7 76. 5 24. 3 75. 7 25. 3 77. 5 27. 2 81 29. 0 84. 2 30. 9 87. 6 31. 3 88. 3 31. 0 87. 8 31. 0 87. 8 30. 3 86. 5 28. 7 83. 7 26. 6 79. 9 28. 3 82. 3 72. 1 21. 6 70. 9 22. 4 72. 3 24. 2 75. 6 26. 0 78. 8 27. 8 82 28. 4 83. 1 28. 2 82. 8 28. 3 82. 9 27. 8 82 26. 4 79. 5 24. 3 75. 7 25. 6 78. 3 68. 5 19. 3 66. 7 20. 2 68. 4 22. 2 72 23. 8 74. 8 25. 5 77. 9 26. 0 78. 8 25. 9 78. 6 26. 1 79 25. 8 78. 4 24. 6 76. 3 22. 4 72. 3 23. 5 74. 9 57 13. 8 56. 8 14. 2 57. 6 16. 4 61. 5 19. 1 66. 4 20. 0 68 21. 6 70. 9 21. 8 71. 2 21. 7 71. 1 20. 8 69. 4 19. 2 66. 6 16. 7 62. 1 13. 8 56. 8 mm inch 71. 7 2. 823 43. 2 1. 701 42. 6 1. 677 72. 4 2. 85 90. 3 3. 555 61. 4 2. 417 153. 2 6. 031 167. 3 6. 587 99. 7 3. 925 80. 3 3. 161 70. 3 2. 768 97. 2 3. 827 1,053. 6 41. 5 mm 11. 3 8. 6 7. 4 7. 8 8. 9 8. 3 13. 8 16. 6 14. 2 11. 7 9. 4 12. 2 130. 1 178. 5 227. 7 237. 6 274. 0 299. 4 274. 1 252. 0 256. 8 250. 6 213. 8 175. 5 2,805. 3 出典: 平均値:1981年-2010年、極値:1951年-現在 人間史 [ ] 南鳥島への空襲(1943年8月31日)• 約20万年前() - して島となる。 (元年) - の船(の船という説もある)モーニングスター号が来訪し、マーカス島と命名する。 (12年) - の斉藤清左衛門が、初めて南鳥島を訪れたとなる。 (明治29年) - 小笠原諸島を拠点に、南洋探検と交易を行なっていたが到達し 、から46人が移住し、に「水谷」と命名する。 開拓の当初の目的はの捕獲との採取であり 、副産物としてやの製造も行なわれた。 のちにの製造が加わった。 南洋の楽園というイメージとは裏腹に、移住者は、、()、(水源に乏しいことからの)、物資不足に悩まされ続けることとなった。 (明治31年) - 「南鳥島」と命名され、東京府小笠原支庁に編入される。 (明治35年) - アメリカ人A・A・ローズヒルがアメリカ合衆国による領有権を主張して開拓を試みるが、それを察知したも軍艦を派遣し、先に上陸して牽制した(南鳥島事件)。 この事件の際、軍艦「」に同乗していたの技師が南鳥島の土を採取・分析。 分が30%程度であったことから、南鳥島がの国内産地として注目される。 (明治36年) - 2月、水谷が東京府に「鳥糞採取願」を提出。 3月に府より許可が降りる。 これにより鳥糞石()の採掘が本格化する。 最盛期には年間1000トンのグアノを採掘。 島の中央部において採掘され、現場から沿岸部へ敷設されたトロッコによって運搬されて貨物船で出荷された。 主な出荷先は東京の「全国肥料取次所」であった。 グアノ採掘に従事する労働者は60~70人をかぞえた。 大正初期の生産高は年間600トンであった。 この時期に南鳥島の事業の権利は水谷から「南鳥島合資会社」に移転。 (大正11年)- グアノ事業の権利が全国肥料株式会社に移転する。 グアノ採掘はその後も続いたが、によるグアノや肥料の価格急落、資源枯渇などから昭和初期までにグアノ事業は終了。 会社及び労働者は南鳥島から撤退した。 昭和初期 - 漁業を営む数世帯が暮らしていたという。 (8年) - 全島民が撤収し、になる。 (昭和10年) - がを開設する。 (昭和17年) - 中、中将麾下の(旗艦)により、南鳥島は東京府内で初めてを受ける(日本本土への初空襲は同年4月の)。 その後も1943年(昭和18年)など何度も空襲を受けた。 (昭和18年) - 施行(東京府廃止)。 (昭和20年) - 軍の一国であるによって占領される。 (昭和21年) - 連合軍総司令部がを指令し、日本の南鳥島へのが停止される。 (昭和22年) - 台風発生に伴うで被害を受けたため、アメリカ軍が撤退して無人島となる。 1951年(昭和26年) - 日本のがの委託を受け、南鳥島で業務を始める。 1952年(昭和27年) - によって、正式にに入る。 (昭和38年) - が完成する。 これを受け、南鳥島にが駐留し、日本の気象庁職員は撤収する。 (昭和43年) - され、に属する。 南鳥島航空派遣隊が編成される。 (平成5年) - 南鳥島ロランC局を管理していたが撤収し、が管理を引き継ぐ。 (平成14年) - によりが設置され、日本最東端の点となる。 (平成18年) - 接近により、気象観測所職員全員が一時島外避難。 (平成21年) - 環境省がに指定。 2009年(平成21年) - 南鳥島ロランC局(自体の)廃止に伴い海上保安庁職員が撤収。 (平成22年) - 南鳥島などの離島の保全を目的とした案が衆議院を全会一致で通過。 、参議院で全会一致で可決・成立し、一部規定を除き施行。 2011年(平成23年) - 南鳥島港湾保全管理所の仮庁舎完成。 (平成24年) - 研究チームにより、南鳥島付近の海底でが発見される。 翌年3月、の一部が高濃度であることが発見される。 生物 [ ] の一種が生息している。 日本国内ではこことにのみ生息が認められ、方面から流木などに乗って分布を広げたものと考えられている。 人体に有害なを持つが多数生息する。 島内の施設と交通 [ ] 太平洋における南鳥島の位置 施設 [ ] 一般市民の定住者はなく、飛行場施設を管理するの(約10名)や南鳥島気象観測所(約10名)、南鳥島港湾保全管理所(3名)の職員が交代で常駐する。 があり、の観測地でもある。 は気象庁の社団局JD1YAAがあり 、来島者の個人局が運用することもある。 かつては海上保安庁の社団局JD1YBJもあった。 往来・補給のために1,370 のがあり、島の一辺の方向に平行である。 島の南側に船のがあるが、浅いに阻まれて大型船は接岸できないため、大型船は沖合いに停泊し、そこから船積みの小型ボートで島に荷揚げを行っている。 このため、2010年度より泊地及び岸壁工事が行われており、2022年度に完成予定である。 の際に戦闘を想定して島を化していたため、その時代のやの残骸などが残る。 アメリカ軍による空襲はあったものの上陸・戦闘は起きなかった。 かつては、が電波航法施設を運用していた。 1993年に千葉ロランセンターが業務を引き継ぎ、213mのアンテナから1. 8の送信出力でロランパルスを発射していたが、ロランを使用する船舶が減少したため2009年12月1日午前に廃止された。 交通 [ ] 島に駐在する職員の交代などのためのが月に一度、海上自衛隊のC-130Rが週に一度、を経由して食料の補給や荷物の逓送のために飛来する。 海上自衛隊のや航空自衛隊のが利用されることもある。 交代の職員もこれらの飛行機を利用する。 が「」 に指定し、南鳥島の住所を記載してもは届かない。 これは各社も同様である。 所要時間はC-130がからの直行で約3時間半である。 海上自衛隊がまで運用していたでは、厚木基地から硫黄島を経由して約7時間かかり、絶海の孤島で周囲に緊急着陸が可能な飛行場が存在せず、何らかの理由で着陸ができないと帰路に燃料不足の懸念があることから、確実に着陸可能である状況でのみ運航を行っていた。 作家のが南鳥島に行きたいと要望し、補給船に乗って1日だけ上陸して、その際の状況を「南鳥島特別航路」に書いた。 希土類 [ ] 2012年6月28日、の加藤泰浩ら研究チームは当地付近の海底5600mにおいて、日本で消費する約230年分に相当する(レア・アース)を発見したと発表。 日本の排他的経済水域である南鳥島沖の海底の泥に、希土類の中でも特に希少で HV のなどに使われるが、国内消費量の約230年分あるという推定がなされた。 これにより、掘削技術を提供していると共同でからの泥の回収技術の開発を目指す。 2013年3月21日、と東京大学の研究チームは、深海底黒泥中には最高で中国鉱山の30倍超の高濃度希土類があることが判ったと発表。 今回の調査で、同大学の加藤泰浩は「230年分以上、数百年分埋蔵している可能性がある」と話している。 なお、陸上の希土類鉱山で問題になる放射性は深海底黒泥中には含まれていなかった。 世界の希土類の主な輸出国であるは、日本による2013年の当地域の希土類に関する報道について、「我が国を煽り立て、牽制(けんせい)することが目的だった可能性がある」とした。 社長の中村繁夫は、南鳥島の希土類採掘は経済合理性に欠けており、一連の報道は単なる牽制目的なのではないかと述べた。 は2013年度から3年間、南鳥島周辺の排他的経済水域内において、希土類を含む海底堆積物の分布状況を調査して評価を行い、商用化に向けた技術開発も行っている。 脚注 [ ] []• (日本語)• 国土地理院. 2015年11月12日閲覧。 日経新聞 2015年1月15日. 2015年9月21日閲覧。 気象庁. 2019年1月閲覧。 気象庁. 2019年1月閲覧。 坂根嘉弘、松山大学論集,28 4 ,127-154 2016-10-01• 2020年4月7日閲覧。 日テレNEWS24• : p. 2000年9月30日• (日本語) 郵便事業株式会社• 日刊工業新聞. 2012年7月2日. の2012年10月21日時点におけるアーカイブ。 2012年10月9日閲覧。 2013年4月10日. 2013年4月16日時点の [ ]よりアーカイブ。 2013年4月10日閲覧。 中村繁夫「 」• 参考文献 [ ]• 『南鳥島特別航路』 、1994年。 関連項目 [ ]• - 存在が確認できなかったにもかかわらず、日本国のとしてなどにも記載されていた架空の島。 仮に存在していたならば、南鳥島よりも東にある日本最東端の島だった。 - 施設を管理する厚木基地のサッカーチーム。 チーム名は島の英語名が由来。 外部リンク [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 - (東京都小笠原村)• - (2015年5月8日アーカイブ分)•

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日本各地の「鳥島」の由来?

南 鳥島

概歴 [ ] 1907年(明治40年)8月、諏訪町(現在の)のが、から560の位置にを発見、上陸して、まで試みたとされる。 これより以前に、日本の南東海上に、未確定ながら「ガンジス島」なる島があるとの情報があり 、当時のが記した『日本水路誌』にも「其ノ位置ニハ多少ノ差異アルニ依リ他日確定スルノ必要アルヘキ」の注記付ではあるが、 に島があるとされていた。 山田は、発見した島を「ガンジス島」に比定し、1908年(明治41年)5月に小笠原庁へ、島の地図を添えて発見の報告を行った。 この報告を基に、からに宛てて提出された「新島嶼ノ行政区割ニ関シ上申」に付属する「小笠原島所属島嶼発見届」によると、島は外周125(約6. 67)、面積64万3700(約2. 13)、と思われるもあった。 また、島にはが積もってできるで覆われており、これは当時、原料やとして重要視されるものであった。 山田はこの島を開発するため日本によるを訴え、1908年(明治41年)7月22日ににより「中ノ鳥島」と名付けられ、日本領に編入された。 しかし、中ノ鳥島はそれ以来再び発見することができず 、特に大正時代には周辺海域を大規模に探索したが、全く発見できなかった。 こうして暗黙のうちに実在しないということでガンジス礁とともに1943年(昭和18年)に海軍水路告示によりの機密水路図誌から削除された。 第二次世界大戦後の1946年1月29日、から「日本」の範囲についての訓令(第677号) が出されたが、第3項に「中ノ鳥島」が含まれていており、アメリカ側では未確定のままとしていた (SCAPIN第677号の目的に於ける日本の範囲を意味するもので、日本領の範囲を示すものではない)。 日本の範囲から除かれる地域として a 、、。 b 北緯30度以南の(を含む)、、、小笠原、硫黄群島、及び、、、 中ノ鳥島を含むその他の外廓太平洋全諸島。 c 、(、、、、を含む)、。 1946年(昭和21年)11月22日の水路告示第46号(昭和21年11月22日付官報掲載)において、近隣暗礁含め、不存在として削除されたことで、一般の水路図誌からも削除されることとなった。 中ノ鳥島の記述は告示に従い順次削除されたが、改正されていない水路図や地図は依然として民間で流通しており、1953年に出版された『高等新地図』(地勢社)に描かれるなど、新規発行の地図にも記載されたことがある。 実在の真偽 [ ] 実際に島があったものが水没したのか、元々存在せずに山田が他の島とし、あるいはのかは不明である。 山田が本当に探検したかも疑う余地が大いにあるが、そうであれば山田がこれほど壮大な嘘をでっち上げた理由が謎となる。 詐欺話説 [ ] このような「幻の島」が「発見」された理由については、仮説の一つとして「話ででっち上げられた」という説がある。 その概要は以下の通りである。 中ノ鳥島の発見報告書には「高純度の燐鉱石が大量に存在する」「(を取ることのできる)が多数生息している」という記述がある。 これらは当時商品価値の高いものであり、実際に山田の名義でこれらの事業を実行する許可を求めている。 当時(ラサ島)においても燐鉱石が採掘され、開発者に莫大な利益をもたらしていることと照らし合わせても、中ノ鳥島はあまりに都合のよい「もうかる島」だといえる。 ところが、この絶海の孤島を開発するためには多額の初期が必要なことも確かである。 従って「島の開発資金を集めるという名目で詐欺話を企てた」との推測が可能である。 話に信憑性を持たせないとが資金を出すことはないので、国に申し出て国土として認定を受けたと考えることができる。 また、山田自身も過去の経歴や記録を見れば探検航海に出たとは考えにくく、「詐欺話に信憑性を持たせるため、それなりに信頼のおける者」として詐欺師が担ぎ出したと考えるとつじつまが合う(信頼性のありそうな者を担ぎ出すのは詐欺師の常套手段である)。 大正期に中ノ鳥島の開発を目指し、船を派遣したのの談話によると、山田は島開発のために組合を設立し、国から燐鉱採掘権を得られた。 しかし組合員の一人にその権利を独り占めにされ、その人もある事件で投獄されて採掘権もやがて期限切れとなったと、当時の「」に記載されている。 存在の可能性 [ ] 中ノ鳥島があったとされるのはおよそ5,000、またからも外れており、島があったとしても、それがすぐに消えてしまうとは考えにくい。 座標から北東に500kmほど離れた位置には水深約1,400mに頂上を持つ高さ4,000m級の()が存在し、これがかつて島であった可能性もないわけではないが、明治末期以降の数十年という短期間で海面下1,400mまで水没したとすれば、大規模なかが起きたことになる。 その場合、が日本列島を含めた太平洋沿岸まで到達すると思われるが、そのような記録は無く、中ノ鳥島の存在を裏づけるには説得力に欠ける。 には「山田禎三郎がこの島と勘違いしたのではないか」という島もいくつか存在し、最東端の(ただし、当時は人が居住しており、地形も発見報告と異なる)もそのひとつである。 ほかには、当時によって島ができては海没していた()というのもあるが、そのような性質の島であれば、地形的にも記録にあるような比較的平坦なものにはなり難く、まして燐鉱石やも存在しえず、結局勘違いなのか、でっち上げなのか、今となっては不明である。 日本近海の太平洋海域はこの手の幽霊島の宝庫で、南鳥島の南西約400kmに存在したとされるなどは典型的な例である。 に発見報告があって以来海図に載り続け、最終的に不存在とされたのは、中ノ鳥島が不存在と確定した更に後の1972年のことであった。 日本政府の見解 [ ] 1998年(平成10年)4月7日の参議院総務委員会で内閣官房長官は中ノ鳥島についての質問に対して「の七月に閣議決定をいたしまして、『自今該島ヲ中ノ鳥島ト名ケ東京府小笠原島庁ノ所管ト為サムトス』と。 には『機密水路図誌ヨリ之ヲ削除スル』、には『中ノ鳥島不存在』、『精測ノ結果存在シテイナイコトガ認メラレタ』、こうなっております。 したがって、中ノ鳥島の存在は現在確認されておりません。 」と述べた。 脚注 [ ] []• 53-70, :• 「 2016年3月4日, at the. 」『公文類聚・第三十二編』、• 長谷川亮一、「」 千葉大学大学院人文社会科学研究科 紀要論文 千葉大学大学院人文社会科学研究科研究プロジェクト報告 2016年 296巻 p. 2-14, ,• 2011年10月5日, at the. 国会議事録 参議院総務委員会(平成10年4月7日) 関連項目 [ ]• - 2012年に削除されるまで一部の地図に載り続けた幻島。 原因は地図への誤記が続いたため。 - 実在する島。 最東端にして絶海の孤島。 中ノ鳥島は南鳥島よりも東にあるとされていた。 ()-。 噴火によって島が形成された際は新硫黄島と呼称される。 - 実在する島。 日本最南端にして絶海の孤島。 - にあると主張された島々の総称。 ほとんどが実在しない幻島。 - 南鳥島との間に位置するとされた幻島。 外部リンク [ ]•

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